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地震とタンス |
2006年02月01日 |
わお〜〜。地震があったね。びっくり。
うちは2階から3階が吹き抜けで、地震のとき、私は仕事場にしている3階にいてeduスタッフのHさんと電話をしていた。ぐらぐら〜っときたけど、まあいつもの軽いやつかなと話を続けていたらグラッ!ときたため、「いったん電話切るね」とHさん。
下をみると、「あ、地震だね」と余裕だった子どもたちも、「テーブルの下に隠れろ!」と息子が叫び、その声に娘もさっと隠れていた。(ほほう、いいね、いいね。地震のときの心得ができてるじゃない)と母も安心した。
地震が収まり、子どもたちがテーブルの下から出ようとしたので、「まだ、だめ。余震があるかもしれないから」と私も一緒にテーブルの下へ。3人でしばし体育座りで、おしゃべりした。
息子「余震ってなに?」
母「最初に地震があって、いったんやんでも、次におっきいのがくるときもあるのよ。だから、ママがいないときに地震があってテーブルの下にもぐっても少しの間待つんだよ」
息子「どのくらい待てばいいの?」
母「50数えてください」
ふたりは50数えだしたが、私は地震情報がみたくてテレビのリモコンを捜しに出た。娘が「まだ、いなきゃだめ!死ぬよっ!」と叫んだが、「大丈夫よ。揺れたらすぐに戻るから」とリモコンをとってきた。以前、新潟地震のとき、わが家はものが落ちたりしなかったが、テレビをみてびっくりしたことを思い出したのだ。
思えば、1月17日の阪神大震災のとき、私はまだ記者をしていて出張でイタリアのアンコーナというところにいた。ローマ経由で帰国するため早朝5時に起き、何気なくホテルのテレビのCNNチャンネルをつけたら、阪神高速道路がぐにゃぐにゃになっていて、街が燃えていた。「日本の大阪で大地震があった」と伝えている。
すぐに弟に電話をしたけどつながらず、実家に電話をしたら「とにかく命は助かったけど、マンションはめちゃくちゃらしい。最初の電話のあとはもうつながらない」ということだった。会社に電話したら、「大阪のことが全然わからない」ということだった。
ローマまでいって、空港から実家と会社に電話したら、もうつながらなかった。イタリアの生活時間が動き始めてみんな電話に殺到したため回線がパンクしたらしかった。
帰国して数日後、弟から電話があった。
「寝ていたら部屋で一番大きなタンスが倒れてきたけど、先に足元に倒れた小さなタンスが支えになって、その隙間にもぐりこめておれは助かった。小さなタンスは姉ちゃんにもらったやつだ。ありがとう」
涙がぽろぽろこぼれた。
そのタンスは私がそれよりもっと以前に留学するとき、家財道具をすべて処理するため弟に押し付けたタンスだ。社会人になるときに母に買ってもらったタンスなので、どうにも捨てられなかった。
弟が「いらねーよ」というのを、「ちょっと!親に買ってもらったものを捨てるなんてバチが当たるよっ!」と言って。「なんだよぅ。捨てようとしてるのはそっちじゃねーか」といいつつ、弟は渋々引き取ってくれたのだった。
地震があると、あのこげ茶色のタンスを思い出す。
なので、きょう、体育座りをしたまま、子どもたちにタンスの話をして聞かせた。
「だからね〜、けんちゃんおじちゃん(子どもらは弟をこう呼ぶ)は、ママにすご〜く感謝してるってワケ」
しばらくして、息子は首をひねりながら反論してきた。
「いや、おれは偉いのは、ばあば(私の母)だと思う。ママじゃないよ。一番偉いのはばあば、だ。タンスを買ったのはばあばだもん」
すると、娘も負けじと「違うよ!けんちゃんおじちゃんだよ。だって、タンスを捨てなかったんだもん!」
うんうん。ふたりとも、正解。
いい話ができてよかったア、と思ったら、その後、ふたりは「余震が怖い」と言い出した。
自分たちの2段ベッドに寝たら「余震のときに脱出できない」といい、ソファーで寝てしまった。
重いんだよ。20キロと30キロ、ベッドまで運ぶのは……。
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